『畳の起こり』

日本における、畳の起こりは奈良時代と言われています。
「御床畳」(ゴショウノタタミ)という木でできた台の上に置かれたものが、奈良東大寺の正倉院に保管されています。
現在ある畳とは若干違いがあり、真薦(マコモ)を編んだござのようなものを5、6枚重ねて畳床とし、イグサの菰(コモ)で覆って錦の縁がつけられていました。
平安時代中期に編纂された格式の「延喜式」では、階級により大きさや縁の色が定められていたようです。
平安時代までは板床に敷くクッションの一種の様な感覚で使われていたとされています。
文献としては「古事記」にも「畳」の記載があり、古来より畳のようなものがあったことが分かります。
日本の伝統の最も古い時期から続いているものと言えるかもしれません。
日本人の「和の心」、「おもてなしの心」の本質は、もしかしたら、畳が起因しているのかもしれません。
平安時代の源氏物語絵巻には畳の様子が描かれています。
平安時代の絵巻物の中でも色鮮やかに描かれている畳が、今もなお使われ続けていることは驚きです。
この文化を後世へと紡いでいく必要性と意味を改めて考える必要がある時期に来ているのかもしれません。
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『畳の発展』

鎌倉時代は「畳」が武士の寝所に用いられるようになります。
さらに、寝る際、畳の上に直接寝るのではなく、「布団」を敷いて寝るようになります。
室町時代に入ると、寝殿造りが考案され、畳を一面に敷き詰めるという考え方が生まれました。
この時代のあたりから日本固有の正座がされるようになります。
正座も畳が部屋に敷き詰められるようになったために生まれた座り方です。
畳職人は「畳大工」と呼ばれ、畳の規格も定まって日本の畳文化が発展を遂げた理由となりました。
また、戦国時代の有力な武将たちが自らの力の誇示のため、豪華な屋敷を構える際、畳を用いるようになり、畳が広まったと言われています。
さらに、この時代以降から茶道が広まり始めたこともあり、茶室にも畳を用いるようになりました。
茶道の文化と畳は切っても切れない関係ですが、昨今、茶道が世界的にも注目を集めるようになり、今後、増々「茶道と畳」の意味を増していくことが出来ればと考えています。
この時代を境に畳が文化となったと言えるかもしれません。
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『畳の広まり』

江戸時代には役職として「御畳奉行」が作られ、武家なにとって特に重要なものになりました。
江戸間と呼ばれる一間の単位は今までの京間などよりもさらに小さくなります。
年貢を定める検地でより多くの年貢をとるため、それまで一間は六尺三分だったものを六尺と定め直したと言われています。
そのため、京間や江戸間などによって畳の一畳のサイズが違ってきたと考えられています。
江戸時代に入り、畳の文化が侍文化から、大衆文化へと変化します。
大きな理由の一つが、士農工商の商人の存在と考えられます。
有力な豪商が、自分達の屋敷に導入し、それを作る職人が増えたことが起因となり、民衆の間に徐々に広まっていきました。
長屋などでは長屋を借りる者が自ら畳を用意し、元から敷かれているものではありませんでした。そのために、畳はとても大切にされて、手入れをしながら長く使っていけるような知恵も生まれました。
それまでのイグサは野生のものを使用していましたが、本格的に栽培が始まり、江戸時代後期には畳を作って生業とする「畳職人」「畳屋」という職業としての畳職人が確立していき、庶民の家にも使用されるようになっていきます。
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『畳の衰退と現代の畳』

それまでは畳の柄などに規制がかかっていましたがそれが解除され、明治維新後に一般社会に畳は広く伝わっていきます。
畳を干して痛むのを予防したり、畳の表がやけてしまうと裏に返して使うなどの知恵で大切に使われていきます。
しかし同時に明治時代から欧米文化も怒涛のごとく押し寄せてきました。
畳文化が広まるのと同様、欧米文化もまずは力を持った人々からやがて一般大衆へと広まっていきました。
明治から昭和にかけて段々と生活様式が欧米化し、畳を用いることに不便さを感じると同時に間違った畳のイメージも広まっていきました。
床も畳敷きからフローリングへと変化し、椅子やソファを使った欧米文化への憧れから、畳を使わない理由も広まっていきました。
特に高度成長以降には、団地などに使用されている安い中国産のイグサを用いた畳は、当時の残留農薬などによるアレルギーなどの問題もからみ、日本人の家庭から畳が消えていきました。
現在、輸入の際の制限も非常に厳しくなり、ほとんど問題ないと言えるほどまで残留農薬の量は減少していますが、一度ついた悪いイメージはすぐに改善されず、 残念ながら、畳の良い面が忘れかけられて、実は非常に現代の生活にも合っていることを知らずに今も畳は減り続けています。
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『畳と未来』

現在、畳を使用している家屋は少なくなり、伝統的な作りにこだわりを持つ家を除いて、今後、この傾向は進んでいくと考えられています。
マンションや戸建てでも、フローリングが中心となり、畳の在り方について、真剣に考えていく必要を感じています。
松本畳襖店では、生活様式が変化しているからこそ、伝統に胡坐をかかず、生活に合わせた畳の在り方を追求していきます。
そのひとつの感覚として、和小物としてもっと身近でお使い頂ける商品を考案しております。
同時に、最近になって日本文化を見直す動きが活発となり、海外での注目も集まり始めています。
文化として残していくと同時に、海外への日本文化としての発信も今後、重要な要素になってくると考えております。
今後、畳と生活をつなぐ架け橋を架けられるよう、伝統と未来をつなぎ続けるために、鋭意努力して参ります。

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